いせ源の由来 江戸は末期の天保元年(一八三〇年)、十一代将軍徳川家斉が国を治めていた頃。

初代 立川庄蔵が、
京橋にどじょう屋「いせ庄」を開業

江戸は末期の天保元年(1830年)、11代将軍徳川家斉が国を治めていた頃、中橋広小路(現在の京橋三丁目付近)で初代にあたる立川庄蔵が「いせ庄」というどじょう屋を始めました。その後、2代目立川源四郎が店を中橋広小路から神田連雀町に移し、店名も「いせ庄」の‘いせ’と「源四郎」の‘源’を合わせ、「いせ源」と改名しました。

玄関横のケース
昭和30年頃、玄関横のケースは冷蔵庫になっており、本物のあんこうが吊してありました。

大正時代、あんこう料理専門店に

今でこそ、あんこう料理の専門店として暖簾を掲げておりますが、当時はあんこう鍋の他にも、よせ鍋、かき鍋、白魚鍋、ねぎま鍋等々、様々な鍋料理を提供していたようです。しかし、あんこう鍋に人気が集中するようになり、大正時代の4代目立川政蔵の時にあんこう料理専門の店となりました。
以来、東京で唯一のあんこう料理専門店として皆様に親しまれております。

中興の祖 4代目政蔵
中興の祖 4代目政蔵。豪放磊落な生粋の神田っ子でした。

関東大震災を経て、
昭和5年に店舗を再建。

店舗建物は、大正12年の関東大震災による全焼後、昭和5年に建て直したものです。幸運にも戦災を免れ、今も尚、当時と変わらぬ昔ながらの風情を残しております。
(東京都選定歴史的建造物に選定)

献立
昭和初期のお品書き。「あんこう鍋 50銭」「ビール 80銭」
まだ2桁の市外局番などに当時が伺えます。